神奈川県・Y様
養源院
養源院は、文禄3(1594)年に浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うために、夫である豊臣秀吉に願って創建した寺院です。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。25年後の元和5(1619)、寺院は焼失しますが、2代将軍徳川秀忠の正室となった三女・お江(法名:崇源院)の願により、伏見城の遺構を用いて再建。以来徳川家の菩提所です。2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。
「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの家紋を見ることができます。

本堂

本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は、伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を、天井としてその霊を弔ったもので「血天井」として有名です。
その他、鴬張廊下や俵屋宗達の絵画も有名です。

「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの家紋を見ることができます。

本堂

本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は、伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を、天井としてその霊を弔ったもので「血天井」として有名です。
その他、鴬張廊下や俵屋宗達の絵画も有名です。

